熟柿

 

ピータンがうまいと評判の店で、アヒルの雛を貰った。友人と二人で訪ねた時のことだった。二羽の雛を、一羽ずつ貰った。
 一羽の雛は、黄金色に輝いていた。ただのアヒルとは思えない、いつか鳳凰に変化するのは必定と思える輝きだった。私も友人もその雛を欲しがったが、雛は私になついた。
 私はどこに行くにも雛を連れて歩いた。街中で行き交う人々が、鳳凰の輝きに目を奪われるのを見るのが、痛快だったからである。
これほどまでに、自尊心がくすぐられる経験は、それまでの人生にはなかった。

 友人は、雛を連れて来なかった。
「おまえも連れて来れば良いのに。もっとも俺の雛の引き立て役にしかならないかもな」
 友人は押し黙ったままだった。
「普通のアヒルでも育て方によっては、鳳凰になるらしいぞ」
「興味ないね」
「育て方の手引書があるらしい」
「興味ないって言ってるだろ」
 怒気を含んだ声がもう一度帰って来た。
「興味ない」
「素直じゃないな。負け惜しみだろ? 」
「余計なお世話だ」
 以後、友人は私と会おうとしなくなった。雛は私を選んだのだから仕方ない。友人にはなつかなかったのだ。それを妬まれても困る。

 私は鳳凰の子を連れて一人で呑むことが多くなった。
「見事なものですね。今までにも、黄金色の鳥はいろいろ見て来たが、これほど美しいものは見たことがない」
 隣に座った客が話し掛けて来た。色の黒い筋肉質の男だ。力はありそうだが、教養はなさそうだ。この男に鳳凰の価値が判るとは思えない。
「どうやって育ててるんです? 」
 色黒の男は馴れ馴れしく訊いて来た。
「こいつは元からこうなんで、何もいろいろしてやる必要はないんですよ」
「へえ、生まれながらにですか」
 男は、日焼けした顔を縦に伸ばすようにして、大袈裟に驚いてみせた。

 私の雛は順調に成長した。人に見せびらかすのが、一層楽しみになった。どうやって育てているのか、餌は何をやっているのかと、必ず訊かれた。特別なことは何もしていないと言うと、大抵の人は驚き、感心した。中には妬みの感情を露わにする者もあった。

 羽根が生え変わり始めた。
 生え変わった羽根の色は、黄金色ではなかった。光の加減でそう見えるのかと思い、色んな角度から見てみたが、やはり黄金色ではない。ならば、汚れが付いたのかと、ゴシゴシと洗ってみたが、何ともならない。新しい羽根の色はどう見ても白色なのだ!
 私は慌てて、雛を貰った店に行った。
「良くあることですよ。逆に雛の時には全く平凡なのに、羽根が生え変わると、まぶしいくらいにキラキラするやつもいる」
「こいつはもう、元の黄金色にはならないってことなのか? 」
「さあ、どうでしょうかね。白いアヒルを黄金色にした人が、もう直ぐ来ますから、その人にお尋ねになってみてはどうです? 」
「はい。是非」
 暫く待っていると、久しぶりに見る顔が、入り口の引き戸の前に現れた。私は直ぐに合点が行き、逃げるようにして、その店を後にした。絶縁した友人の哄笑が、背中を追って来たような気がした。
 すべての羽根が生え変わると、鳥は純粋にアヒルになった。もはや誰も、これがかつては鳳凰になると言われた鳥だとは思わない。もう、鳥を連れて出かけることはなくなった。世話をするのも億劫にり、餌をやらない日が続いた。
 アヒルは衰弱し始めた。衰弱してみすぼらしくなると、アヒルの顔を見ることさえ嫌になった。
 行きつけの店では、隣町に見事な鳳凰がいるという噂話を聞くようになった。友人のアヒルに違いない。あの日、背中を追って来た友人の哄笑が、耳の奥に貼り付き、耳鳴りのように常に私を悩ませる。
「黄金色に育てただけじゃないか。偽者だ。偽者の鳳凰だ。俺のは生まれながらに黄金色だったんだ。俺のが本物の鳳凰なんだ」
「そうですとも」
 相槌を打ったのは、この前の日焼けした男だった。
「あれほど素晴らしい黄金色の鳥は、初めて見た。今まで一度も埋めたことがない」
「埋める? 」
「私は墓を掘るのが仕事でして」
「ああ、成る程」
「あなたの鳥は、紛れもなく鳳凰の子ですよ。間違いなく黄金色になる。もう一回、羽根が生え変わる。その時が鳳凰になる時ですよ」
 私は墓掘りの顔を凝視した。墓掘りは薄汚れた茶色の歯を出してにっこりと笑った。
「ただ、今のままではダメだ。鳳凰になる素質を引き出してやらなくちゃ」
「どうやって? 」
「他人に聞いても仕様がない。あなたが自分で見つけなきゃ」
「下らん。謎掛けか。思わせぶりなことを言って」
 私は、焼酎を一気にあおった。空になったグラスをカウンターに叩きつける様に置いた。その音に驚いて、店内の他の客が一斉に振り向いた。墓掘りは私の耳に口元を近づけた。
骨酒に入れた岩魚の様な臭気が、鼻を突く。
「もし、明日お時間があれば、山にいらっしゃい」
 墓掘りは席を立った。いかにも教養のなさそうな下品な男だ。まともに相手にする訳にはいかない。
 家に帰ると、アヒルは立つことも出来ぬ程に弱っていた。流石に気の毒に思い、水を嘴の先に置いてやった。首をもたげ掛けたが、直ぐに眼を閉じ、頭を床に着けた。
 羽根はあちこち抜け落ち、もはや白くもない。灰色に薄汚れている。寒いのか、弱って支えられないのか、身体を小刻みに震わせているが、抱きかかえてやるのもはばかれる。
「こんなのが、再び鳳凰になるんだろうか」
 別に、墓掘りがどうにかしてくれると思った訳ではないが、翌日、山に行ってみようと思った。散策を楽しむだけでいい。あんな男はまともに相手にする必要はない。

 山は秋色に染まっていた。
 墓掘りは山に来いと言っただけで、何処で何をしているとも言わなかった。会えないのなら、それでも構わないのだから、敢えて探そうとも思わない。
 落ち葉がだんだら模様を作る坂路を上って、墓堀りが仕事しているのを見付けた。興趣を覚え、暫く見学して行くことに決めて、傍らの石に腰を下ろした。
 墓堀りの仕事振りは、見事と形容して良いものだった。機械仕掛けの人形の様に、一定のリズムを持って、確実に土塊をすくい出して行く。その度に、腕の筋肉が激しく脈打ち、墓堀りの腕力の大きさを計り知ることができた。メリヤスの半袖シャツには、汗の染みができている。額から噴き出した汗が、秋の冷気の中に湯気を立ちのぼらせる。
「誰の墓を掘ってるんだね? 」
「なに、犬の墓ですよ」
「犬を埋めるにしては、やけに大きいね」
「大きいに越したことはありませんからね」
「成る程ね」
 墓堀りは尚も掘り進んだ。とうとう墓堀りの背丈を越える程の深さになった。底の方から、土を掻く音が聞こえて来る。ガリガリという音を合いの手にして、掘削された土がバラバラと投げ出される。そんなことが繰り返され、掘削する音が、次第に遠くから聞こえるようになった。いい加減、上がって来れば良いと思うのだが、手を休める気配はない。
 秋の風が、樹々の黄色い葉の間を、何度も往復した。
 小一時間もして、漸く土を掻く音がしなくなった。スコップが穴の中から抛り上げられたのに続いて、汗と土埃にまみれた太い腕が、穴の渕に掛けられた。墓堀りの頭が湯気を上げながら、穴の上にヌッと飛び出した。メリヤスシャツも汗と土埃で、焦げ茶色になっている。
 墓掘りは肩で息をしながら、抛り上げたスコップを拾い上げ、それを杖にして身体をあずけた。と、余程に疲れたのだろう、そのままずるずると座り込んでしまった。この人夫を斯様に疲れさせる穴とは、どの程度のものなのかと、歩み寄って、中を覗いてみた。
「! 」
 優に五メートルはあろうかという深さである。これだけの穴を、一人で掘り上げた剛力には、ただただ感歎するばかりである。
「犬を埋めるにしては、また、随分と深いじゃないか」
 墓掘りは肩で息をするばかりで返事をしない。尚も訊いてみる。
「さぞかし、大きな犬なんだろうね」
 ハアハアという声に混じって、「ああ」と言った様な気がした。それで満足したことにして、元の石に戻って、腰を下ろした。
 代わりに墓堀りが立ち上がった。立ち上がると、指を咥えて口笛を吹いた。甲高い音が、風の中をつんざいて行った。
 口笛に応えて、遠くで犬の鳴き声がした。
と、茶色の犬が真一文字に、墓掘り目掛けて駆けて来た。
 墓掘りは、駆け寄って来た犬を、ひょいと抱き上げ、そのまま穴の中に抛り入れた。
 犬は「キャン」と一声上げて、穴の中に消えて行った。穴底に叩きつけられる鈍い音がするかと思ったが、予想に反して何も聞こえなかった。深いので、小動物が叩きつけられる程度の音は、届かないのかもしれない。
 墓掘りは、先ほどまで杖にしていたスコップを、やおら拾い上げた。穴の周りに築かれた土堤を、スコップの先で崩し始めた。穴の中に土塊が落ちて行く。
 穴の渕に寄って、中を覗いて見た。
 穴の底では、犬が上を見上げながら頻りに吠えている。上から土が降ってくるので、首をすくめ、右往左往して逃げ惑う。土をよけながら、必死に吠えつづける。土の壁に前足の爪を掛け、よじ登ろうとするが、とうてい無理な深さだ。
 墓掘りは黙々と作業に励んだ。穴の渕に築かれていた土堤が、みるみるうちに切り崩されて行く。穴の底から土を抛り上げるより、穴の渕から土を落とす方が遥かに楽だ。墓掘りの額の汗は、掘り起こした時よりも少な目の様な気がする。
 犬は必死に吠え続けている。悲壮感のこもった鳴き声だ。次から次へと土が降って来るので、なかなか首を上げられない。が、土砂が降る合間に、何としてでも空を見上げようとする。
 犬がこれだけ吠えているのに、樹々の葉ずれの音が聞こえた様な気がした。
 犬の姿は土に隠れて見えなくなった。それでも鳴き声は聞こえる。墓掘りは尚も精力的にスコップを使い続ける。穴はみるみる内に埋められて行く。
 遂に埋め尽くされた。
 墓掘りは、埋めた所を念入りに踏み固めると、傍らから石を一つ持って来た。私が座っていた石だ。その石を、穴があった所に据え付けた。
「どうです、良い墓でしょう」
 そう言われても、私は固より墓の善し悪しを判定する批評眼は持たない。何とも答え様がない。
 と、背後で何かが落ちる音がした。振り向くと柿だった。余程に熟していたのだろう、地面の上で、ぐしゃりと潰れていた。
 今一度、墓に眼を遣る。何だか格好の良い墓だという気が次第にして来た。
「どうです? 良いと思いませんか? 」
「まあね」
「犬の毛が生え変わるのが判りましたか? 」
「毛が? いつ? 」
「判らなかった? まあ、良いでしょう」
 犬の声はもう聞こえない。多分死んだのだろう。
 墓掘りは私の背後に回り、地面で潰れた柿を拾い上げた。
「どうぞ。鳥に食べさせると良い」
 私は柿を受け取ると、ツイードのジャケットのポケットに入れた。染みになるだろうが、構わない。

 私が帰宅した気配を知って、鳥は首を上げた。小さな声で「ガー、ガー」と二回鳴いた。
もはやこの鳥に夢を託すのは無理だ。何かの拍子に、突然、鳳凰に変異してくれれば良いが、そんなことを望むのが間違いだ。
 否、こいつは生まれながらの鳳凰なのだ。鳳凰になる素質はあるのだ。それを引き出してやりさえすれば良い。墓堀りだって、もう一度羽根が生え変わると言ったではないか。
「犬の毛が生え変わるのが判りましたか? 」
 不意に墓堀りの言ったことを思い出した。
否、生え変わってなどいない。茶色のままだった。それとも断末魔に黄金色に輝いたとでも言うのか? 
 私はポケットから柿を出し、嘴の前に差し出してやった。鳥は、それを軽く突付いた後、嘴を大きく開け、潰れた果実を一気にくわえこんだ。途端に、全身を痙攣させ悶え苦しんだ。何が起こるのか、私は一瞬、期待に胸を躍らせた。
 何も起こらなかった。ただ、鳥が悶え苦しんでいるだけである。目の前で悶え苦しむ醜い生物を、私は凝視した。
 激しく耳鳴りがしている。友人の哄笑なのか。犬の吠える声なのか。鳥の悶え苦しむ声なのか。全く判らなくなっていた。
 鳥はいつまでも悶え苦しんでいた。死にすら見放され、永遠に苦しみ続けるかのようだった。


HOME